〜2005年12月14日〜

 先日、常連の日高さんが友人という人と一緒に店に来られました。友人というのは校長の城戸(じょうと)淳一先生です。西都市立銀上(しろかみ)小学校の校長先生でした。
 先ずびっくりしたことです。いきなり店のギターを取り出しさだまさしさんの♪やまざくらの歌♪を弾きながら暗記していらしして歌われるのです。そして次は♪むかし子供達は♪です。「先生なんでこんな歌を知っていらっしゃるんですか?」と聞いたら「さださんの歌は教育そのものです。こんな歌は誰も作れません。私は子供達にいつもギターを弾いて給食時間に生徒と歌っています。」とおっしゃるのです。私がどんなに舞上ったか?お解りだと思います。
 今の時代にこんな心豊かなに育てられる校長先生がいらして、本当に特別な夜の時間を過ごしました。今からも、もっともっと色々なところで子供さん達や大人の人達に先生の歌を聴かせて頂きたいと願っています。
 そして銀上小学校の発展、発信、日本中に届きます様祈っています、そして元気を頂いた御礼を申し上げます。
 先ずは乱筆にて?(笑)

追伸:みんなで銀上小学校へ遊びに行きたいです。

〜2005年10月〜

10月23日の宮崎日日新聞を読んで。
小学校の先生が41歳で医者をめざし宮崎大学医学部に入学されめでたく医者になられた先生の話です。
『41歳、僕は教師をやめて医者になりました』
地域医療をめざしてがんばられた方です。木村 勤著の書評を県立日南病院長 柴田 紘一郎先生が出していらっしゃいました。
日曜の夕方から少し風邪気味で元気がなくて、少しふてくされていたのですが、柴田先生の書評を読んでいるうちに♪あれよ、あれよ〜♪と元気が出てきたのです。私ってゲンキンですよね〜。
今の世の中、暗い事が多すぎて、でも二人の先生方の話しに触れると、本当にうれしくなり元気が出てきたのです!お陰様で日曜日の夜、いつもの通りさだまさしさんのCD♪風に立つライオン♪を聞いて、DVDも見て最高の夜でした。
今日は書評をHPでお知らせいたします。本も読んでみて下さい。子供さん達がこれから社会人として生きていく大きな目標になればと思います。
柴田先生の大好きな言葉です。

“感謝”

41歳、僕は教師をやめて医者になりました   木村 勤 著
医療のあるべき姿記す  <宮崎県立日南病院院長・柴田紘一郎>
  本書の書き出しは「『41歳、教師から医師へ』 一九九一年四月十日の宮崎日日新聞第一面に、大学生門前のヒポクラテス像をバックに、入学式を終えて、笑顔で誇らしげに立つ僕の写真入の記事が掲載された」という一説で始まる。
 理想の医療の実現という「大志」をおもい続け、不惑の年齢四十歳を超えて、宮崎医科大(現在の宮崎大学医学部)に入ったときの気迫がひしひしと感じられる。
 小学校教師として十八年間心血を注いだ教育界から一転、子供のころからの夢をかなえ医師になった著者。医療とはどうあるべきかを内外からつづったインサイド・リポートとも言える。
 著者も述べているごとく、中高年の医学部入学に関しては(著者は寄り道組と記述)是々非々があるが、目的意識が強い人のみが持つ卓越した意見が方々に散見でき、若い人に医療の本質を示唆するところが大きい。
 しかし、本書は何も、医療はどうあるべきかという大命題に真正面から取り組むのではなく、中年者の医学生生活、教授像あれこれ、国家試験の思い出、熱中教師時代、離島での医療などを中心に、さらには自分のそこはかとない恋物語を肩ひじを張ることなく淡々と描いてある。さまざまな人々の交流は、短編小説の形を取って走馬灯のように種々の形を織り交ぜてあり、人間賛歌を歌っているようでもある。
 つまり、著者が医師となって伝えたいメッセージは「一人一人は他人によって代えられない崇高性を持っており、医療に携わる人々は、暖衣飽食の身にあるのではなく、病める人とともに病魔と戦い、喜怒哀楽さえともにする姿勢を持ち続ける事こそが最重要である」との思いではないか。小生のモットーは「こころある医療、夢ある医学、命のかぎり」。気脈の通じ合うものを感じる。
 今ほど医療に関心が寄せられている時代はない。医療従事者はもちろん、医学の在り方に疑問を持っている方、さらには教育関係の方にもぜひ読んでいただきたい。

<宮崎日日新聞:平成17年10月23日付より>


〜2005年8月9日〜

 鹿屋市のコンサートが終り、感動がさめやらないうちに、長崎へ!!!
 鹿屋は14年ぶり、実家の近く5分位のところで兄(81歳)も一緒に聞く事が出来ました。倉田さん、石川さん、宅間さんのアコースティックもすばらしく、体中が大元気!!兄がさだまさしさんって『あっさりした、いい人だね」と言っていました。又早いうちにコンサートをしてくださる事を願いながら鹿屋を後にしました。
 長崎も良かったです。早く行きたかった ピースミュージアム 雨やどり、やっと行く事が出来ました。まさしさんの平和への祈り十分伝わりました。悲惨な原爆のTV放送を見るたびに、なぜこんな事が起きるのかいまだにわかりません。宮崎からまさしさん応援団として、一握りの平和の火を灯しに行く事が出来みんなで喜んで元気一杯で帰りました。
 長崎の街も大好きです。坂道を歩きながら思いました。人生はこうして一歩一歩重荷を背負って歩く事を教えられました。ひたむきなまさしさんの生き方はまさしく長崎の町が育てた様な気がします。
 今9月6日・7日の3,333回のコンサートの心の準備に入っています。稲佐山で聞いた新曲♪もったいない♪早くCDが欲しいです。稲佐山で思ったことです、私は鹿屋の町で爆撃で逃げ回った1人です。亡くなった人達のかわりに私は残された生命をどうして、何をして生きて行けばいいのでしょうか?東京から、京都から、鹿児島から、福岡から私の大好きな人達の笑顔を見る事が出来、平和な長崎の旅が終わりました。
 どうか世界中の人達が幸せであります様、祈ります。

かすみ

鹿児島県鹿屋市コンサート
かすみさんの御実家でかすみお兄さんと、西郷隆盛直筆の掛け軸の前で集合
鹿屋のくまさん(松田先生)とピーススフィアボランティアのみなさん
コンサート後の打ち上げ集合写真 寺澤君作製かすみのぼりと、まさしくん人形
長崎から〜05’
広島原爆の日の長崎ピースミュージーアム ミュージーアムいっぱいに張られた平和地蔵の絵
コンサート会場からの夕焼け コンサート打ち上げで踊るかすみさん
コンサート打ち上げの集合写真 夏長崎からBS2で放映されたかすみさん

〜2005年7月7日〜
 6月18日(土)、埼玉の中学校の先生が柴田先生に逢いに来られました。そして7月3日の日曜日、西岳中学校の授業参観にも来られました。まさか学校でお逢いするとは思っていなかったのでビックリするやら、うれしいやらでした。“かすみのHPで場所がわかり来ました”との事で、こんなに行動力があり生徒育成の為に身体ごとぶち当たられる先生に頭が下がります。大人、先生、子供、みんな力を合わせて“風に立つライオン”になりましょう。
 子供は国の宝・財産です。大事に育てましょう。惜しみなく愛をそそぎましょう!
 佐藤先生なら必ず実行される方と思います。
 すばらしい先生に出逢って感激です。
 道徳の授業をなさる様で、大成功祈っています。私も授業に参加したいなぁ〜〜。
かすみ

〜2005年7月6日〜
 胸が“キュット”熱くなった感動の日。
 7月3日(日)都城市の西岳中学校で行われた、道徳「風に立つライオン」原口朗先生の授業と県立日南病院院長柴田紘一郎先生の講演会に参加しました。
 子供さん達を真ん中にみんなで感動を分け合うすばらしい時間を共有しました。さだまさしさんの♪風に立つライオン♪の歌、もう何十回いや数えきれない程聞いているのです。全国の中学校の道徳に出ていることも知っているのですが、こんなに深く考える事なく恥ずかしいです。
 原口先生が出されている問題に、これが中学生の答えだろうかと改めて驚かされ感動しました。

例:「♪辛くないと言えばうそになるけど幸せです♪」とはどういう気持ちだろう。
辛い:@環境 Aうまくいかない B不便 C日本ではない
幸せ:@心の広い人 A瞳の美しい人 Bやりたい仕事をしている

例:「♪風に向って立つライオンでありたい♪」とはどんな生き方だろう
@つらい事があっても、たくましい
Aどんな困難にも逃げない
B苦しいところにあえて立つ、幸せになる
C人の幸せを喜ぶやさしさ
D他人の意見に流されない
E風に向って、自分を鍛える

 考えてもみなかった事で、中学生の皆さんにたくさん教えられました。

〜柴田先生の演題〜
活き意気と生きる 感謝そして志
時に癒し、しばしば支え、常に慰む
この世に無駄な事は何一つない
たくさんのバラの花よりも自分で毎日水をやり葉についた虫を取り 一生懸命育てた一本のバラに負けるものはない
お父さん、お母さんに大事に育てられた子供はだれにもおとるものではない 親にとっては誰よりも美しい花である

心があらわれ目が覚めました。
こんなにすばらしいお話しをたくさんの方に聞いて欲しいと思いました。
さだまさしさんのDVD『風の交響曲(シンフォニー)』の中にある「風に立つライオン」のDVDも流して頂き有難うございました。生徒さん達が食い入るように画面に寄せられた瞳がとっても素敵でした。
この様な授業、そして講演を計画されました西岳中学校の先生方にも御礼を申し上げます。
有難うございました。お疲れ様でした。
西岳中、バンザイ!!

新しい木造の西岳中学校の校舎です。

穏やかなお顔でお話を始められた柴田先生

熱心に聞いている中学生の皆さん。

父兄に交じってかすみさんも真剣に

『ヒトは助け合って生きているのです』と話される柴田先生

『時に癒し、しばしば支え、常に慰む』と話される柴田先生

最後の花束贈呈に微笑まれる柴田先生

〜2005年6月22日〜
 今日はお知らせです。県立日南病院長 柴田先生の講演が7月3日(日)にあります。
 県庁の日隈俊郎さんからの話があったのです。日隈さんは自分の仕事以外のことでも県民の話に良く耳を貸してくれるのです。
 実は私がさだまさしさんのコンサートがロンドンであった時、パスポートの取り方さえ分からずに困っていた時も、親切に教えてくれました。市役所で住民票を取り、近くの写真店で写真を撮って県庁の国際課に行く事など、など。お陰でパスポートも取れてロンドンに行く事が出来たのです。
 柴田先生の講演の件は、日隈さんの同級生で中学校の教頭先生 岡留君子先生が相談されたそうです。早速話しに乗ってくれて、岡留君子先生とも店で逢う事ができました。
 岡留先生はさだまさしさんの♪風に立つライオン♪(※)の歌に感動されたのです。学校でとかく暗いニュースの多い中、生徒の事を一生懸命に思ってがんばっていらっしゃる先生や県民の話を忙しい中、耳をかして下さる県庁職員の方、本当にうれしく有り難いことです。そして本当に毎日忙しい、柴田先生も快く引き受けて下さって大喜びです。
 皆さんも是非行って下さい。
 西岳中学校で逢いましょう!
日  時:2005年7月3日(日) 午前10時30分〜午前11時30分
学校名:都城市立西岳中学校
住  所:都城市高野町2927番地
電  話:0986−33−1601
(※)実は♪風に立つライオン♪の歌は、柴田先生が30代の頃ケニアに医療に行かれたときの話しを、さださんが聞いて感動して作られた歌です。

〜2005年5月17日〜
 新緑の季節になりました、とっても気持ちいいですね!
 ところで私共は、柴田先生事ライオン先生の誕生会を賑やかに行いました。5月7日(土)スマイルデータシステムの安藤政美社長さん「かすみのHP」の代理人様も出席して頂き、あとはいつものメンバーさん(写真のとおり)。鎌田先生事<野うさぎ先生>来店の折り、とっても若々しいシャツをお召でしたので、ライオンにも少し“おしゃれ”をと思って、シャツをプレゼント!先生って優しい方ですね、早速着て頂き“お店の登場”。とってもみんなに喜んで頂きました。うれしかったです、みなさんどうですか?御似合いでしょう!
 その晩はことのほか舞い上がってしまって、先生に心からの愛のキスをしてしまいました( ^3^)/ チュッ、( ^3^)/ チュッ。先生の内心嫌がったかも知れませんが、みんな大笑い!かすみさんまだまだ若いですね、まだ71歳ですもの!!ところでライオン先生、何歳?みんなからのプレゼントは素敵な下駄でした。
 先生久し振り、歌ったりして♪下駄をならした奴が来る♪少年のようでした。今頃きっと下駄をならして休日にお散歩、いいですね。いつまでもお元気でいて下さい。

では又来年5月まで...。
大変だ〜、柴田先生が(Θ山Θ)に食べられる〜〜〜〜!!

(Θ山Θ)がせまっています!ライオン危機┓(´_`)┏

ママが落ち着いたところで、ハイ「ニッコリ」!

今度は別件です。
3月でした、発表少し(だい〜〜ぶ)遅れました(かすみ放送局(^0_0^))
UMKで九州スペシャルの番組で“くまさん先生”事、松田幸久先生の放送がありました。先生は長崎出身で鹿児島大学医学部を卒業されて、現在鹿屋で小児科を開業されています。さだまさしさんの大ファンです。
内容は、ダウン症の子供さんの治療に一生懸命がんばっていらっしゃるTVでした。本業より学校へ飛び回り講演したり、合間を見てギターを弾いて親子さんに“癒し”をあたえ、クリスマスにはサンタの洋服を着て童話を読んであげて〜。童話の本も出していらっしゃいます『ドローボーサンタ』の本などとっても素敵な本です。
先生の大好きな歌はさださんの『主人公』です。ギターもお上手です、まぁ“石川鷹彦さん”まではどうかな?(あら失礼)
私は鹿屋出身です。鹿屋の町にこんなすばらしい先生がいらして、鹿屋の子供さん達が元気で育って行く様願っています。先生が鹿屋にいて有り難い事です。
今は数少ない小児科の先生です。本当に有難うございます。さださんの鹿屋でのコンサート、7月に先生の病院に遊びに行きます。みんなも楽しみにしています。これからもよろしくね。

−雑談−
“ライオン”より“野うさぎ”より『くま』が一番強いかな?『くま先生』がんばってね!

〜2005年5月7日〜
ライオンの柴田先生と、野うさぎの鎌田先生
 4月28日(木)、鎌田實先生と奥様が来店!
 ♪突然の来店には驚いたけどうれしかった♪あの“日本架空説”のアルバムの中の八曲目『八ヶ岳に立つ野ウサギ』事、鎌田先生です。もう緊張しまくって?なぜって宮崎さだまさしファンの集いで(特にM先生)、いつかライオン先生と野うさぎの対談をと願っていたのであります、強い夢は叶うものですね。
 4月29日NHK宮崎が月野原先生と鎌田先生の対談を計画されて実現となりました。“風に立つライオン”の本で先生の事は少し知っているつもりでしたが、実際にお逢いした人柄は、この写真の笑顔そのものの方でした。
 柴田先生と和やかにお話される御姿を見てたくさん教えられました。人間として一番大事なものは“心”なんだと思いました。まさしさんのトークで『右手に元気、左手に勇気そして心』この三つは使えば使うほど大きくなるものだと思います。私達の小さな人生も大きく豊かになって行くものと思います。
野うさぎと抱き合うかすみママです
  私はこんなにすばらしい方に抱きつかれて(笑)写真を撮る事が出来ました。元気で年をとればこそと涙の出る思いです。「野うさぎに負けるなライオン、野うさぎに負けるなライオン、エイエイオー・エイエイオー」って(いつもの馬鹿さが出てしまって)でも鎌田先生が『いやぁ〜ライオンには負けるよ』って、柴田先生は『いやぁ〜野うさぎのがんばりにはかないません』ですって!!
 本当に謙虚な笑顔でした。いつか日本を代表する二人の先生の対談が行われます事願っています。鎌田先生を呼んでくださったNHK宮崎と鎌田先生と柴田先生との対面を図って頂いたまさしさんの弟、繁理さんには心からお礼申し上げます。ありがとうございました。

かすみ

集合写真です
一番右端は、鎌田先生の奥様で、鎌田先生のマネジャーをやられています(マヨネージャーだと言っておられました)。

〜2005年4月26日〜
 お久しぶりです、皆さんお元気ですか?4月も終わりです。
 例年通りまさしさんの53年度?4月10日の誕生会をやったのであります。ハッピーバースデーを歌い、“春らんまん”を賑やかにやり、宮崎さだ研のみんなの笑顔とっても素敵でした。(写真はおって出来上がり次第というところで...)・・・と言っても元が元ですから(笑)『あら、失敬』ごめんネ。でもみんなのこの優しい暖かい心、きっとまさしさんに届きエネルギーとなる事を祈って♪人生の贈り物♪を歌って締めました。
左から2人目:さだ弟繁理さん、正面:平井御夫婦
 4月11日はまさしさんの弟、繁理さんと徳島の平井様御夫婦と久し振りにお逢いしました。車検(?)に見えたそうです。久し振りに柴田先生も楽しそうでした。『眉山』の舞台になった徳島は今、とっても人・人で賑わっているそうです。さださん効果ですね、うれしいですよ。
 繁理さんと久し振りに逢った顔は、まさしさんにそっくり!『まさしさんに似てこられましたね』といったら『まさしが僕に似てきたんだって(笑)』。それから九州男児の話になり、鹿児島の男はうそつきだと、なぜですか?私も鹿児島出身ですがと言ったら、鹿児島の友人がゴルフで『右に打つ』と言ってボールは左に飛んだって言うことでした。やっぱり兄弟ってトークまで似るのですね。
 明日からの車検(?)でなにもなければいいがと心で祈りながらお別れしました。だって夜中まで飲食でした、主治医がついているのに世の中ってこんなもの?(笑、笑)
 それから4月14日鹿児島のコンサートに行きました。『恋文』のコンサートの最終会、九州ツアーとってもすばらしかったです。満席でみんな大声で『春らんまん』を歌いました。おまけに“ラジオ体操”までやらされて、でも気持ち良くてとっても楽しかったです。口笛も“ピーピー”なり、ステージも盛り上がりました。帰りは則子さんと言う人の運転でなんと宮崎行きが方向違いの指宿方面へ走る事数時間、宮崎に着いたのは夜中3時、あぁ楽しかった!則子さんお疲れ様。次は7月30日(土)鹿屋のコンサート、がんばったら楽しい事がたくさん待っていますよ。
 みんなの人生が楽しくなります様に、それから『掲示板』に色々と話して下さる方々、本当に有難うございます。
 まさしさんのコンサートはやっぱりすばらしい、体中が筋肉になり元気になります。

 また逢いましょうHPで。
かすみ

〜2005年2月1日〜
 寒中御見舞申し上げます。
 皆さん、寒くて“ブルブル”ふるえていらっしゃいませんか?南国宮崎もとっても寒いです。一月も終わりです、まさしさんのカレンダーもうあと、11枚かなんて・・・。でもコンサートが待ってるし、まさしさんが元気で“みんなおいで、おいで”って言っている様で・・・。
 「眉山」読まれましたか?徳島に行って眉山に登りたくなりました。タクシーの方が言われるには“登り易くて小高い山”だそうです。“私でも登れますか?”と聞くと“楽に登れますよ!”って、今年の夢もう一つふえて徳島のコンサートへ実現出来る様がんばります!それには先ず仕事がんばってと自分に言い聞かせています。

 今日は武縄さんの事を少し話します。
 「風の交響楽」の特典映像に出て来る「風に立つライオン」のイメージビデオに“故:武縄さんに捧げる”とあります。武縄さんは毎年、宮崎に柴田先生に逢いに「人間ドッグをされながら」みえていました。必ずかすみにも寄って頂き親しくさせて頂いた方です。2年前、急死されました。
 武縄さんは長崎放送局にいらして、ケニヤに取材に行かれ、現地の方に「日本人医者に逢いたくて来た」と言われ、その時の出逢いが柴田先生だったのです。現地の人達が朝から晩迄走り回っている“ダキタリー(医者の事)”を紹介したのが柴田先生でした。同じ長崎と言う事で、こんな医者もいるもんだと大変感激なされ、交遊が始まったのです。
 いつもお店では「まさしがね、まさしがね」とうれしそうにいつも少年のお顔でした。ある日こんな事も話されました。〜エレベーターでタモリと逢ってネ、言ったんだよ「お前はまさしの悪口を言うがけしからん」と私は「もっと言って、もっと言って」と言いました、その時は大変気分がスーッとしてうれしかったです。
 雨の夜でした、柴田先生の家にお泊りになっていたので、二人で肩を組んで楽しそうに帰っていかれる後姿が最後のお姿です。一つの小さな傘に入って、まるで子供みたいでした。今でも4月になると思い出します。でも私の心の中にお元気な時の武縄さんがいつもいらしてお話しているんですよ。東京在住でしたので「いつか一緒に東京のコンサート聞きましょうね」と言った約束果たせないままでした、悔しいです。 行動は後回しにしたらいけないと思います。思ったら早く実行する事ですね。
 それにしてもビデオの柴田先生のケニアでの医療される姿、本当に胸が痛くなる程感動しています。今も柴田先生の御人柄はあのままです。後ろ髪ボシャボシャも素敵ですね。
 私は数少ない本当に人に出逢って幸せです。私も御二人に恥ずかしくない生き方が出来たらと努力しているのですが・・・、無理でしょうね、お客様の“無理、無理”と言う声が聞こえて来ます。

では、長々と・・・。
かすみ

〜2005年1月13日〜
 新年のごあいさつ遅れましたが(いつもの事)
 明けましておめでとうございます。本年も時々HPでお邪魔致しますのでよろしくね!
 暮れに紅白でまさしさんの歌でしっかりと一年の締めくくりが出来ました。やっぱりまさしさん最高です。いい年明けです。みんなと思いはきっと一緒だと思います。
 風の交響楽(シンフォニー)、もう見ましたか?私はあのコンサートに行きましたですよ!DVDから出てくる拍手、笑い声、私のも入っていますよ!なんといっても特典映像「風に立つライオン」イメージビデオ最高ですね。柴田先生と一緒に店で見ました。森下先生が見せて下さったのです。暮れの忙しい時に、仕事を忘れて見ていました。柴田先生と一緒に見れるなんてうらやましいでしょう?先生は照れてましたけど、さすがプロの方“安部様”の映像も素敵です。
“まさしさんのまあねぇ、あのねぇ、借金があったらしいが私は知りませんよ、いくらあったか?”知ってるくせにとみんなが言っているようですが・・・
 本当に良くがんばってこられたと思います。コンサートの時にいつもみんなのお陰と感謝の気持ちを忘れられないところに頭が下がります。人間良くなって行くと、ついつい足元を見失ってしまいますよね、それにしてもまさしさんの歌はすばらしいです。心にしみます、一曲一曲魂が入っている様で胸が“きゅう!”となったり、元気になったり私達はまさしさんの元気を吸い取っています。だから今度はまさしさんにもっともっと元気になってもらえる様、元気をお返ししましょう!どうしたらお返しできるか考えましょうね。“現金”より“元気”かな?でもやっぱり現金かな(笑)
 あっ、そう又又本でましたね「眉山」宮崎医科大の寺澤大介君の登場あたりから一気にのめりこんで読みました。感動しました、愛した人のために生命まで捧げる、これを本当の愛というのでしょか?“母は強しされど女は弱し”でも今は“母は強しされど女は強し”かな?ごめんなさい。
 私の父は八十八歳で亡くなりました。母は小学校4年のとき亡くなっています。父の最後の言葉でした『兄にくれぐれも久子(義姉)の御両親に良くしてくれたと御礼を言ってくれ」と、父は“ああ楽しかった、十分だよ、ありがとう”と思ってくれたと思います。いっぱい苦労をかけた私がいたのに。最後にこんな言葉が言える様、一所懸命生きましょう、そして自分の楽しい時間も時々作りましょう。
 それは“オ・ッ・カ・ケ”(笑)今年もやりましょうね。今年は盛りだくさんですよ。4月鹿児島、8月夏、長崎、9月3,333回コンサート、もう正月早々ワクワク!森下先生この分だと4,000回もあるよねだって、そうあってほしいものです。
 今日はHP見て下さってありがとう!ああ楽しかった「眉山」の大ヒット祈っています。
かすみ

 2004年〜かすみクリニックニュース〜
 2003年〜かすみクリニックニュース〜