私が昔から良く飲みに行くお店に「スナックかすみ」さんがある。宮崎市内の飲食店街ニシタチの「じゃんじゃん横丁」の一番奥の左側にあるお店で、ママさんは、「さだまさし」の大ファンである。さだまさしの有名な唄「風に立つライオン」のモデルとなった柴田紘一郎先生(現在:宮崎県立日南病院院長)は、この「かすみ」さんの常連客の一人であるが、まだ宮崎医科大学に勤務されていたときの平成三年春、さだまさしの「お父さん」をこの店に連れて来られた。ママさんが息子さんから贈られたグレープのライブアルバム「三年坂」のレコードを大事にすり減るほどに聴いていただいているのに感動した「お父さん」が「今はCDの時代だから」とコンポーネントシステムを贈ったことを切っ掛けに、宮崎で「さだまさしコンサート」がある時には、さだまさし御本人及びスタッフの方々がこの店に来られるようになった。このことは、さだまさし著「日本が聞こえる」(1998年3月毎日新聞社発行)の中に「スナックかすみ」として紹介されている。

 このようなことでこのお店には、いつも「さだまさしの唄」が聴けるため、いつの間にか男女を問わず「さだまさしファン」の方々が良く来るお店となっている。また「かすみ」さんのホームページ(http://www.smile-kun.co.jp/kasumi)でも「さだまさし」が紹介されているため、これを見て県内だけでなく、県外の方もお店に来られることがある。

 バブルが崩壊し景気が悪くなって以来、「ニシタチ」の飲食店街はお客が減り、最近では閉店する店も増え、売上げも相当落ち込んでいるが、この「かすみ」さんだけは、別格であまり影響を受けていないように思われる。さだまさしファンを含めて、いつも常連の方々がカウンターを占めている。

 私はこの店に出入りするようになってから20年以上になるが、お店の中は最初の頃とあまり変わっておらず、良くなったものと言えば、エアコンを取り替え、古い椅子の幾つかを新しくしたことぐらいだろうか。正直言ってきれいな店とは言い難い。周囲の壁には、さだまさしのカレンダー、この店で一緒に映した写真などが、所狭しと飾られている。店の広さは、それほどでもなく、カウンターだけで、10人も来れば一杯でこれ以上は無理である。開店時間は、午後8時以降であり、どちらかと言うと2次会用のお客を対象としているため、食べてお腹を満たそうというようなものはない。ビール、焼酎等の飲み物以外では、簡単なおつまみ、枝豆、鯣、モロキュウ、リンゴなどがあれば十分と言える。「まだ行ってるのか。」「あまり食べる物がない店によう飽きもせずにいくなあ。」と友人から言われることもある。それでも毎年毎月顔を出さずにいられないのは、ママさんとこの店の雰囲気が非常に良いからである。

 それから、ママさんは、年齢は私よりも一回り多いが、私と同じ鹿児島県出身で同郷の誼ということも、長年「かすみ」さんとは縁が切れずに続いて来ている要因の一つであるが、平成9年11月、私の妻が亡くなってからは、それ以前に比べれば、ここに行く回数は増えた。私のことをいろいろ心配し、落ち込んでいた私を励ましていただいた。そのときママさんから「この唄を聴いてみなさい。」と言って戴いたのが「さだまさし」のCD「古くさい恋の唄ばかり」である。この中の「愛について」「あの人に似ている」「帰郷」などの唄を聴いていると、何故か落ち込んでいた心が癒されるというか、元気が出てくるというか、心から素直に好きになった。これを切っ掛けに自分で「さだまさし」のCD「夢唄」を早速買い、この中の唄も好きなのが多く、その後次々と買い求めては聴くようになった。このようなことから私もファンとなり、平成10年5月には「さだまさしファンクラブ:まさしんぐWORLD」にも入会した。

 ママさんが「さだまさしファン」であるため、当然話題は「さだまさし」中心で、CDで流す曲も「さだまさし」のものが大部分である。ママさんはファンであるだけに、「さだまさし」の唄をかなり沢山覚えており、しばしばご披露される。我々もいつの間にかそれに引きずり込まれて歌うことになる。

 私が「さだまさしコンサート」に初めて行ったのは、平成10年4月13日(月)の宮崎市民文化ホールでのものである。この日は、29年前に今は亡き妻と初めて出会った日でもある。ママさんから誘われ、「かすみ」で時々お会いするファンの方々と一緒に行った。座席は前から3列中央の非常に良いところで、「さだまさし」を間近に見ることができ、唄とトークによる3時間は楽しい中でアッという間に過ぎてしまった。CDも良いが、生演奏に勝る物はない。その年は11月23日(勤労感謝の日)、鹿児島県志布志町での「さだまさしアコースティックコンサート」(志布志町文化会館)にもママさんとファンの方々と一緒に行った。その後、人事異動前日の平成11年3月31日(水)、宮崎市民文化ホールでの「さだまさしコンサート」にも、ママさん等と行ったが、平成12年10月23日(月)の延岡市でのコンサートには、誘われたが残念ながら職場の行事の関係で行けなかった。

 本年1月15日(月)、ママさんから職場に電話があった。5月19日(土)、奈良の薬師寺で「さだまさしコンサート」があるので、旅行を兼ねて一緒にいかないか、との内容である。楽しい時が持てそうであったので、すぐOKの返事をした。このコンサートは、「薬師寺玄奘三蔵院落慶法要記念:薬師寺奉納公演」として5月18日(金)と19日(土)の二日間、薬師寺中門前広場で夜行われるものである。具体的な旅行計画や、ホテル、航空券等は、県教育庁生涯学習課の方(男性)にしていただくことになっており、今のところ16名程度のメンバーになるようである。楽しみに待つとしよう。

 1月20日(土)、「かすみ」さんに行ったとき、昨年6月22日、日本人男性アーティストとしては初めて行われたイギリス・ロンドンにある「ロイヤル・アルバート・ホール」での「さだまさしコンサート」のビデオ(WOWOWで放送したもの)をお借りして帰り、2回見たが素晴らしい内容のものであった。このロンドン公演については、「まさしんぐWORLD」からビデオがで1月24日から発売(定価7,000円)され、2月5日にお店に行ったところ、「さだ企画」から発売用ビデオ10本が送られてきていたので、私もその1本を購入した。こちらのビデオには、リハーサル風景や楽屋風景、さだまさしのコメントなどWOWOWでは見られなかった未公開映像が含まれた素晴らしいものとなっている。
 なお、このロンドン公演には、ママさんも日本からのツアー客の一員としていってこられた。ママさんの「さだまさし」に対する思いは、尋常ではない。「さだまさし」のことを話すときのママさんは、目がキラキラと輝き、年齢を感じさせない、若い女性に戻ったようになる。ママさんの若さの秘訣は、「さだまさし」であり、ママさんにとっては、今ではなくてはならない人になっているようである。

 それからママさん達と将来一緒にしようとしていることがある。それは四国霊場88か所お遍路の旅である。私は県庁を退職したら尺八の門人達と時機を見て虚無僧で回る計画を持っている。門人達にもこの話をし、何名かは賛成してくれている。この話をママさんにしたら、「一緒に連れて行って」と言われる。丁度その時にお店に見えていたママさんの友人の方も「私も一緒に行く」と言われる。3人とも四国お遍路の経験は、これまで一度もない。それに3人ともそれぞれ事情があって今は一人の身である。それなら一緒に行こうということになった。

 私は虚無僧でと考えているが、長年吹いている都山流尺八には虚無僧の制度はなく、今でも虚無僧が続いているのは、明暗流尺八だけである。なぜ私が虚無僧にこだわるのかというと、もともと尺八の基本は普化宗による虚無僧尺八である。その基本に戻って尺八を吹いてみたいと前々から考えていたが、それを実行に移す機会がなかった。ところが妻が亡くなってから精神的に落ち込み、これから立ち直るには明暗(虚無僧)尺八を吹いて妻の供養をすることしかないと思い、平成11年11月14日の妻の命日の日に明暗尺八導主の木村壷堂先生(清武町在住)のところに入門した。この明暗尺八の本部は、京都市にある宗教法人明暗寺である。

 入門以来、休むことなく明暗寺所伝の尺八本曲を学んでおり、昨年12月「中伝免状」をいただいた。これからが段々難しい曲になってくる。今、奥伝の曲「鹿遠音」「鶴巣籠」等を学んでいる。虚無僧については、本部から免許証をいただいており、今でも行うことは可能であるが、今はまず尺八本曲をしっかり学び、力をつけることが大事であるので、県庁を退職してからと考えている。

 このようなことで、いつの日か尺八の門人やママさん達と四国霊場お遍路の旅が出来るかと思うと、明暗尺八も楽しい。それはまで健康に気をつけて元気でいなければならない。これからも明暗尺八による禅の道も学んでいくつもりである。
 (平成13年2月8日)